「私のホストちゃん」の亡霊が舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」を見た話
※このブログには舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」のネタバレが含まれます。まだご覧になっていない方は事前情報なく楽しむことができる贅沢なチャンスをお持ちですので、ぜひ舞台をご鑑賞されてからお読みください。
舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」(以下、しぬステ)を見た。
吸血鬼すぐ死ぬについては、原作既読、アニメ視聴済、たまに盆ノ木先生のチャンネルを見る、くらいのライトなファンである。
そんな自分がしぬステを観に行った理由はこれだ。
舞台「私のホストちゃん」の亡霊だからである。
◼️私とホストちゃん
「私のホストちゃん」はかつてえげつない集金システムで名を馳せた、いまなお悪名が散見される舞台であり、2020年のライブをもってその歴史に幕を閉じた。
時代の流れにシステムが合わなくなってコンテンツが終了したのはいいことだ。他担、時には自担とも争って、涙を流すオタクが生まれなくなったことに安堵したほどだ。
それとは別に、私にとって困ったことがあった。
ホストちゃんのあのメチャクチャでハチャメチャなストーリーを、今後どこで味わえばいいんだ?????
ホストちゃんのメチャクチャな点は集金システムだけではない。
20人の役者が繰り広げる、メチャクチャバカとしか表現できないストーリーにも一端がある。
具体的には、
・高校ラグビーの決勝戦で負けたらホストになれと監督に強要される
・ホストの祭典「ホスリンピック」を開催するためのリーダーとして「ホス都知事」を選任する
・都知事が推しアイドルをかばい、槍投げの槍に突き刺さって死ぬ
・ナンバーワンホストの源氏名が元号になり、ロビーで発表会見の映像が流される
・ナイチンゲールの魂を受け継いだアルチンボーイズを名乗り、夜な夜な破廉恥な保険適用外医療行為を行うメディカルホストが組織されている
などである。
私がおかしくなってしまったか、脚本家が水の代わりにアルコールを常飲しているとしか思えない設定だが、残念ながら私は正気なので、おそらく後者だろう。
これを作り出した人物こそ、しぬステで脚本・演出・作詞を担当している村上大樹さんである。
この味を他で味わうのは不可能だった。
個性的で顔のいい大勢のキャラクター達が、真剣にメチャクチャバカをやっている舞台でないと満足できない体になってしまった。
某月某日。
しぬステのキャスト・スタッフが発表された。私は確信した。
「絶対に個性的で顔のいい大勢のキャラクター達が、真剣にメチャクチャバカをやっている舞台だ。」
私のホストちゃん終了から、もう3年が経過していた。
◼️「吸血鬼すぐ死ぬ」という土壌
「吸血鬼すぐ死ぬ」が面白い漫画であることは自明の理である。
個性豊かな人間たちと、特殊で愉快な能力を持った吸血鬼たちが、愛すべき街・新横浜で繰り広げるドタバタコメディだ。
この吸血鬼たちの特殊能力が絶妙にくだらないところがすばらしい。
催眠術で猥談しか喋れなくするおじさん、野球拳をしないと出られない結界を張れるおじさん、触れたものをマイクロビキニにできるおじさん…おじさんばっかだが…とにかく「自分にしかない能力」を持った個性的なキャラ達だ。
村上さんは「特技」を強く見せて、おもしろく構成することに非常に長けた作家である。
役者が歌が得意なら歌の見せ場を作り、詩吟が得意なら舞台で披露するタイミングを作り、アーティスティックな感性を持ち合わせていれば前衛的なパフォーマンスが出来る話の流れにする。
今作でも、ドラウスが高らかに歌い上げ、Y談おじさんが華麗にターンを決め、ドラルクが台詞の裏でこそこそアドリブのツッコミを入れている。
まさに、自分にしかない能力を持った吸血鬼たちを生かすのに最適な人材だと思う。
「吸血鬼すぐ死ぬ」という土壌に、村上さんの作家性がばっちりハマって、役者が特技を存分に発揮する。
メチャクチャなのにパズルのピースはきっちり嵌っていて、観客を容赦なくうねらせる。
こんな舞台が面白くないわけがないのだ。
■「舞台」の武器
舞台というのは得てして、映像よりも制限がある表現方法だ。
しぬステの制作が発表された際、「どうやって砂になるの!?」というツイートが散見されたのはもっともである。
そして観客は「どうやって砂になるの!?」と大いなる期待と不安を抱えて舞台を見ることになった。
結果として、初めての砂化は見事に強烈なインプレッションを残した。
このファースト砂化は本当にすばらしく、ぜひ実際に見てもらいたいため、詳細は記載しないでおく。
つまり制限を逆手に取り、開始5分足らずで客を引き付けたのだ。
このあとドラルクは多様な方法で砂になるのだが、中にはヤケクソみたいな雑な方法もある。が、それすらもなんだか吸死っぽくて、もう面白いのだ。
舞台の制限という弱点を逆に武器にして楽しませている。
しぬステでは映像演出は使われない。昨今の2.5次元とカテゴライズされている舞台ではかなり珍しいと思う。
兼役の早替えも多く、黒子も出てくるし、風船やバスケットボールも出てくる。
演劇の力、役者の力、そして観客の想像力と感受性を信じて勝負してきていると感じたし、舞台という表現方法を愛している身として、なぜかとても嬉しかった。
バスケットボールが舞台を転げても、なんとなく「吸血鬼すぐ死ぬだからな…」という寛容な空気感があったし、やはり吸死という土壌に合っていたように思う。
しぬステは、「舞台であること」を盾にしてメチャクチャやりまくり、もはや盾で殴ってくるというすごい舞台だ。たぶん棘もついてる盾だ。
「舞台であること」それ自体を面白さの武器にしてしまうなんてちょっとすごすぎるな、と思った。
■私としぬステ
結局私はしぬステにかつての記憶を感じることができたのか。
答えは「めちゃめちゃイエス」である。
以下は私が感じたホストちゃんとの思い出だ。
・電話がかかってきて場転する
・客席に向かってぜんぶ説明する
・「と、その時だった!!」
・一回転して回想に移る
・大御所が無暗にめちゃくちゃくだらない歌詞を歌う
・おかあさん大好きの歌を歌う
・ラスボス対複数人のアクションシーン
・なんかいい感じの歌でいい感じに締めようとする
・劇中で全員が横一列に並んでいい感じの歌を歌う
・最後は愛とバカが勝つ
特にロナルドの「と、その時だった!」は懐かしさに一瞬涙ぐむほどであった。
これで泣いているのは普通にやべー奴である。
「と、その時だった!」はホストちゃんではおなじみのきっかけ台詞だ。もう聞くことはないと思っていたあのセリフを、ずっきーさんが言ってくれるなんて…生きてるといいことがある。2023年って最高かもしれない。
全世界のホストちゃんロスが抜けない姫たち、しぬステを見よう。
ここまで書いておいていまさらの弁解だが、決してしぬステとホストちゃんを混同しているわけではない。
こちらが勝手に面影を見つけてワーワー感傷に浸っているだけに過ぎず、しぬステはしぬステとして完全に独立した面白い舞台である。
しぬステは「吸血鬼すぐ死ぬ」の舞台化作品として20潤2溝400億3187万2259無量大数1158不可思議9994那由他7923阿僧祇5925恒河沙3394極17載227正5013澗7636溝3129穣701杼8436垓3237京5482兆1365億2080万2682点だと思う。
作品をリスペクトし、キャストとスタッフの力を信じ、観客を信じた最高のエンターテイメントだ。
幸運なことに当日券も配信も円盤発売予定もあるらしい。
このメチャクチャサイコーバカエンターテイメントを、より多くの人に肌で感じてほしいと思う。
↓以下しぬステで印象に残ったシーンのイラストです。本文とは比べものにならないネタバレですのでご注意ください。↓